ブログ(きりんのたより)天風録(2021.06)引用
天風録2021.06.25中国新聞引用「立花隆さん」
奇妙なアルバイトもこなした。何やら薬を飲まされ、30分お気に採尿させられる。今で言う治験か。訃報で「知の巨人」と評価された立花隆さんも東大生の頃は靴一足の払いさえ月賦だった。▲そこへ一通の手紙が届く。核軍縮を冠した組織から欧州の会議に誘われた。友と二人で広島の原水禁大会に乗り込み、各コクの代表団に訴えた原水爆告発の行脚が実現した。本名「橘隆志」は60年余り前の本誌に見える。今なら1千万円に上る経費を捻出すべく金欠学生は紛争した▲長崎生まれの立花さんは幼少期を大陸で過ごす。もし故郷にいたら自分は-と自伝でつぶやく▲「原爆の子」などのフィルムを担いで欧州を行脚し、旧ソ連の核を巡って賛否が発熱する現場に遭遇した。同じ頃、日本の運動には警官隊との攻防はあっても議論がない、と気付かされる。やがて組織がバスで人を動員するような運動と一線を画す。既成政党の権威を物ともせね後年の仕事に結実するのだろう▲したり顔は若者の特権、考えすぎたら行動などできない-と立花さんは記す。あの時代、無謀にも渡欧した自分がそうだった。今は立花隆志に戻り、天から若者の尽きぬ可能性に思いをはせていよう。
「自分の考え」
立花さんの人生には同感です。今の若者だったらと考えると、遠い昔の時代だったか分かりません。
原水爆禁止大会に乗り込んだ意気込みは、立派だと思います。戦争のない時代に生まれた自分たちは、幸せの世界です。高齢者が伝えなければ、だれが伝える。継承することは、大事なことであると考える。時代は、変われど戦争のない幸せな世界、仕事も大事だけれど、人生を皆に分け与えることも大切とも考える。
お盆明け、4ページきりのミニコミ紙が郵便で職場に届いた。本誌を半分に畳んだくらいの大きさの「はすみしんぶん」第3号。発行元のNPO法人がある島根県の羽須美地区にちなんだ氏名らしい▲1面トップの記事は、明治操業という地元のみそ醸造場が息を吹き返したという話。大阪での教員生活に区切りをつけ、蔵を立てなおした3代目と客が店先で笑顔を交わしている。なじんだ味が戻ってきたー。ご近所さんの喜びが紙面からかおってくる。▲合併前の羽須美村にあたる一帯は昔は江の川の港町だった。先週から「暴れ川」の横顔を見せる大河にはサケが里帰りする。ただ、Uターンの人波は限られ、過疎の里との代名詞を負わされてきた。 ▲足りぬ地域の担い手をそとから取り込むのが、ミニコミ紙の役目だろう。脚光を浴びている「関係人口」である。観光キャンプ場の再生やお年寄りの送迎、日刊紙の配達といった、援軍歓迎の困り事が紙面に並ぶ▲その隅に、覚えのある編者の名前も見える。広島の民放を定年前に辞め、ちゅないの蔵元に勤めを変えた人だ。みそも日本酒も発酵食品で、風土に育まれる。似た風味が、人生という物語にもかぎ取れる。
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